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当寺について

北条氏ゆかりのお寺

鎌倉幕府二代執権である北条義時が創建した寺で、義時の嫡子である安千代丸が大蛇に襲われ命を失った時、北條寺を墓所として七堂伽藍を建立し、仏殿の本尊を慶派の仏師に命じて作らせたとされています。 義時は北条時政の次子であり、北条政子は義時の姉に当たります。義時は源頼朝の挙兵以来、父時政と共にその軍に従い大きな功績を残しました。鎌倉三代将軍実朝の不慮の死により、源氏の正統が絶えると、京都より頼朝の姉の曽孫に当たる藤原頼経を迎えて四代将軍とし、自らは執権となり武家政権を確立しました。義時は冷静な洞察力に基づく計画性と強固な意志を持った優れた政治家でありました。 義時は承久の乱の三年後、1224年(元仁元年)6月13日に62歳で急死し、長子である泰時らによって、北条氏発祥の地であるこの寺に墓を建てたと伝えられています。

寺宝

木造観世音菩薩座像

鎌倉時代末〜南北朝時代 桂材 寄木造 像高 47.7cm
静岡県指定文化財

片足を踏み下げる半跏の姿、垂下する衣、頬の膨らむ面長の顔など、異国風の像。これらは中国・宋様式で、宋風文化が流行した鎌倉の物資が取り入れ、鎌倉周辺に作例が集中する。

寺伝によると本像は智証大師が唐から請来したインドの像で、鎌倉極楽寺にあったものを北条政子が北條寺に奉納したという。以上は異国風が生んだ伝説だろうが、極楽寺伝来は事実かもしれない。近年、鎌倉時代末の像とする説があり、北条氏と関わる像の可能性がある。

木造阿弥陀如来像

鎌倉時代 桧材 寄木造 像高66.7cm 静岡県指定文化材

瞳に玉顔を入れた面長で理知的な顔、張りがあり、引き締まった写実的な体の造形などから鎌倉時代前期に制作されたと考えられる仏像。

寺伝では池田の大池で大蛇に殺された、北条義時の長男・安千代の冥福を祈って建立された仏殿の本尊で、運慶作とするが、細身で繊細な作風は運慶とは異なり、同じ慶派ながら運慶派とは異なる系統の仏師の作だろう。時代的に北条義時が仏像に関わった可能性があり、貴重な作例である。

牡丹鳥獣文繍帳

室町〜安土桃山時代 静岡県指定文化財
主帳:92.5×247.0cm 左右帳:249.0×48.5cm

須弥壇の前面に懸ける繍帳(とばり)。絹地に鳥獣・植物などを刺繍し、麻布で裏打ち・補強している。多彩で重厚な刺繍により、動植物の姿が生き生きと描かれている。

寺伝では、北条政子が中国で制作されたこの繍帳を寄進したと伝えられている。

見どころ

北条義時夫妻の墓

造立時期不明 石造物 伊豆の国市指定文化財

鎌倉幕府二代執権、北条義時とその夫人の墓である。北条義時は幼年〜青年期は江間小四郎と呼ばれ、江間に館を持ち、北條寺を建立したと伝えられる。江間地区を見渡すこの地に、後に供養塔を造立された物であろう。

石塔のうち、頂部を除く上部3石は室町時代のものであり、下部1石は江戸時代の石塔である。この石塔にそれぞれ夫妻の戒名「北条寺殿前相州大守観海禅定門」(右)、「松月院殿大虚清心大禅定尼」(左)が刻まれている。夫人は脇に「藤原朝光娘」とあるので伊賀の方のことであろう。

蝋梅

開花時期は12月中旬から2月中旬。黄色く小さい花と爽やかな香りが特徴で、敷地内の義時山には約250本が植えられている。蝋梅のトンネルをくぐりながら、香りを楽しむことができる。